宇部興産時代の1983年後半にセメント試験センター(現在は建設資材カンパニー技術開発研究所?)のラボラトリオートメーションのシステム開発に関わりました。宇部興産は事業部制で私は本社のシステム部門に在籍していました。地図を参照してください。(12)から(19)に自分の車で行き来していました。
このプロジェクトでは試験機器をサーバに接続する担当でしたが、今のようにどこにでもイーサネットがあるわけでなく通信機器毎の個別対応でした。NECのサーバ上でトランザクションモニターが動いていて画面処理と同じ扱いでトランザクションとしてデータをアップさせるようにしました。
以下の機器を接続しました。
- 色差計@N-5200 --- LANシリーズを動かしつつバックグラウンドで送信。N-BASICで通信機能を追加。
- 蛍光X線装置@HP-85 --- 日立製でHP-IB接続。IOモジュールを追加し通信機能を追加。
- 破壊試験装置@HP-85 --- 同じHP-85ですがHP-IBではなくシリアル。IOモジュールを追加し通信機能を追加。
HP-85は電卓の王様のようなものです。測定機器にHPのこの「電卓の王様」がコントローラーとしてくっついて来たようです。博物館に資料がありました。
N-5200はNEC製の企業向けPCでLANシリーズというパッケージを主に使っていました。コンシューマー向けのPC-9800シリーズとパラレル関係にありました。Wikiペディアに資料があります。
すべてソースを解析して機能追加しました。破壊試験ではセメントおよびコンクリートの塊に圧力をかけて耐圧測定をするのですが、試験するものには「50年もの」もあり、データロストは許されないので紙に出力しつつサーバに送信しました。
セメント事業部の残業弁当を食べて車で本社に戻り残業食を食べていました。そして24時頃に車での帰り道で野菜炒め定食を食べて寮に…って感じでパワーがありました。自分の担当が終わった後に担当外でしたが、初めてのCOBOLで帳票プログラミングに挑戦してハマってしまい関係者にご迷惑をおかけしました。ちょうど運動会シーズンでしたが、練習に参加せず深夜3時頃までデバッグをして何とか間に合わせました。
ちなみに富士通とはその後建設された宇部興産ビルには富士通の支店が入っているぐらい当時は密な関係にあったのですが(他にも理由があります)、富士通の32bitマシンで行く予定がなぜかNECの16bitマシンになりました。NEC採用の理由はNEC山口という半導体工場の設立が関係していました。こういうことはよくあることですね。
http://museum.ipsj.or.jp/computer/mini/0021.html
宇部興産をやめるときにセメント技術センターに挨拶に行ったのですが、何と!メーカーの人間だと思われていたのでした。